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【 発信しない 発表しない 作品 】

昨日記載した内容の補足として、


2017年の 1月頃から書いていた


人物写真への想い “ について


ここに置いておこうと思います。



今読んでも、考え方は さほど この時とは変わらないですね⭕️



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ポートレート 。


今や、モデルのお仕事をされてない方も、


まるで、写真集の1ページのように撮影し


SNSにアップしたり、


本を作ったり。



また、アマチュアカメラマンさんでも、


“ 一般の方を 撮る ” という事を生業にしてるかたもいらっしゃいます。



 “ 写真をやっている ” 



というと



「 人物は撮らないのですか?」



と聞かれることも多くなってきました。


それほど、


カメラ = 人物


というイメージがあることに驚きます。



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今の所、こういったポートレートは撮っていません。


そう答えると、


「 需要あるよ~撮影しないのは トライしたことないからでしょ?」



と言われてしまうことも、、




やらない理由はいくつかあります。



ざっくり言うと、



自身を納得させる、



“ 語彙力 “と “ 捉え方 “が



力不足もあり、整っていないため、



ポートレートの型が 柔らかな状態であるからです。



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とはいえ、実は少しずつ 


好きなスタイルの 撮り方が わかるようになってからは、


高頻度で撮ってます。



ただ今の作品を総合的に考え、



そぐわないため 個展 では出していません。

( 補足すると 小さな作品は出していましたが、大きな作品という意味です )


 

モデルさんを立ててのポートレート撮影は、


今も 積極的に 自発的に はしていません。



その理由は、



高校生の頃、



とある大切な人との“ 別れ “ が発端でした。



これから綴る内容は、



けして“ 御涙頂戴 ” でも、



“ 感動ポルノ ” でもございません。



ただ強く、今に影響しているという” 事柄が あるだけ “ です。



2017年の 1月頃から書いていた 内容でしたが、


個人的な ストーリーのため 


形にしていいのだろうかと悩みました。



次の ステップへ 進むためにも、



ここでアウトプット。




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ポートレートを やらない理由としては、


“ 人物頼り ” になり、“ 写真の力 ” が分からなくなると思ったのが、1つです。

 



2つ目は、


人を撮る経験は、個人的に、もうお腹いっぱい。


『 さすがに、自分の好きなように撮りたい 』 と思っているから。



小さい頃から、

 

実家の新年会、忘年会、社員旅行の写真だの、


盆暮れ正月だの、


『 うちの子供を撮って 』とか


『 仲良し 3人で撮って 』とか。。



そう、実は、食わず嫌いでもないです。



( 歴だけで見れば25年なので^^;)



3つ目は、先程書いた通りです。



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《 未来へ…  》


私が高校卒業の時期。


家庭教師 の先生が去ってしまいました。


二十代前半。


大学卒業間近。



あまりに突然の出来事。


今思えば、18歳の自分には 正直つらかった。



後日、ご挨拶に先生のご実家へ。


祭壇に見覚えある写真が。



自分が撮った写真だ…。


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先生は とある 難病 でした。


その事もあり、お母さまとの関係が良好でなく、


一時は命を断とうとしたこともあったそう。



卒業が 近づくにつれ 解けていき、


倒れた日も、


お母さまに内緒で ” 歌のプレゼント “ をしようと教室へ通っていたそうです。


曲は、Kiroroさんの “ 未来へ ”



歌詞を見てもわかるように、


きっと先生は、“ ありがとう ” を伝えたかったのでしょうね。



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写真に関しては、


安定しない日々が続いていたため、捨ててしまったり、


また症状が表面化していたことも手伝って、


写真が苦手。



暗い表情のものも多かったそう。



そんな状況で、


祭壇に飾る写真に困っていたところ、


先生の部屋の机の引き出しを開けてみると、



1番上に、自分が撮った写真が。


“ 自然な表情で あの子らしいな” 


と飾ってくださったそう。




その写真は、両親が夏、


職員さんやお世話になった方々を呼んで


ビールパーティーをした際、


名前を呼び、振り向いた時のものでした。



『 最後に残るのは、綺麗に飾られたものではなく、なにげない一コマなのかもしれない 』



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その後も、


思いを より強くする 出来事が。



両親共の


祖父母の際も、


選ばれた写真は、


何気なく撮ったものだったのです。



自分をたてる為に、


大人たちが 気を使ってくれたのかもしれないけど、


“ お父さん お母さん らしい ”


と選んでくれた時は、とても 嬉しかったことを覚えています。



祖父母達は、


一緒に住んでいたり、


近くに引越してもらって、


週末度に会いに行っていたから、



その中で、


自然なやわらかい表情や、雰囲気の出る瞬間を 掴んでいたのかもしれませんね。



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そんな事を思い出し、


書いては消し、書いては消しを繰り返していた時期に、


蜷川実花さんの” うつくしい日々 “ を見に行きました。


http://www.art-it.asia/u/HaraMuseum/Zv78z0CYosJ15f3k2rcW/



10日間だけの展示。



テーマに対して


直接的でないとらえ方。


とても 


よくよく


人間ぽい 俗っぽさの “ くさみ ” が出ないよう


丁寧に考えられていた展示でした。



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写真は、シャッターを押せば、なんでも記録できてしまいます。


“ 被写体の力 “ を “ 自分の実力 “ と過信し発信する。



現実的で直接的なものを、



ただ ただ 撮って、



ただ ただ はきだし、



” 耳馴染みのいい “  “ 張りぼての言葉 “ を並べているものが 


爆発的にヒットしたり、支持されているという理由だけで、


そういった作品が求められるシーンも増え


ハテナ マークばかりが浮かんでいましたが、



この展示で、



自分とっての “ノイズ “ に耳を傾けず、



『 間接的に 想像させる 絵描き方を これからも続けたい 』


という “ 強さ “ を取り戻したのでした。



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《 飛ぶ鳥跡を濁さず 》



『 悲しいことをすぐに形にできない 』


と思ったのが、このあたりです。



高一年から大学一年まで


約四年間。


あれよ あれよと言う間に、


6人と2匹が なくなりました。




もっとハードな色々な経験を されている方から見れば、


『 図太く生きようぜ 』


と思うかもしれませんが、



多感で繊細な時代に、


ものすごい数の


“感情の色 の洪水” を処理出来ず、


蓋をするしか 対処しようがなかったのです。



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今振り返っても、1人1人、1匹1匹との時間が濃く、


本当に重い経験でした。




“ いなくなること ”


に慣れてしまう自分や、



まだ あちらの世界へいっていなくても、


大人たちが、


契約書やら、


どこにどれを返すだ、


誰にお知らせするのやらと、


話している。



“ しなければ いけないこと “ 


と、頭でわかっていても、


現実感が 圧倒的に 押し寄せ、


かなり強烈でした。



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” 数より質 “ 


特に一緒に暮らしていた方が 立て続けということもあり、



遺したものの整理の大変さ、

( 特に写真は曽祖父からの代なので、三世帯分)


手続きの多さ、


式に向け、淡々と進む時間。




“ 故人を偲ぶ ” とか、


“ 魂がどう ” とか、


“ かなしみがどう ” とか、


“ 真の死とは ” とか、



小説や映画やテレビで見聞きしたものと 


まるで別物。



『 人の最後はこれかよ 』と。



実際は、綺麗事を並べている暇はなかったのです。



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2、3年前も立て続けに経験しましたが、



何年たっても、



とてもじゃないけど、かっこつけて” 定義 ” 


なんて 今でも語れません。


 

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《 遅い 早いは 関係ない 》



そこから、莫大にあった自分の作品は 自分で管理しなくてはと、


ネガを整理し始めたのです。



それが今の個展で、昔の写真が出せた所以です。


(今もまだ終わっていませんが、少しづつ着手しています。)



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《 取りこぼしは やがて 大きな 穴へ 》



“ きっと 同級生に話しても、困るだけだ ” 


と当時は しまいこんで、なかったことにしていてました。



でも これがまた厄介で。。


バランスを崩した時、


ばっと顔を覗かせ、困ったことも。



本能的に、


『 これは一番先に取り組まないと、ワクワクする人生を送れないかもしれない。


手前味噌でもなんでもいいから、とにかく“ 自分とは何か ” を掘り下げたい!』


と思うようになりました。


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“ 弱さ “ ” 脆さ” “怖さ “ や


 “悲しみ”  ”怒り” を直視しすることは、


ドMかよっ!というくらい、


わんさかネガティブな事も出て来ます。


いっそのこと、


『 夢見る 夢子  なら よかったな  』 と思うこともありますが、



繰り返していたネガティブなパターンから抜け出せた経験もあるので、続けていきたいです。


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着飾ったものでも、



病床時のものでもなく、


盛った派手な演出のものでもなく、



『 人から 滲む色が出た  何気ない 日常の一コマ 』


そんな ポートレートが撮れた!


と感じた時、


きっと 写真作品の “ 最終形態 ” となるのかなと。


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また、ビジネスライクな感覚に、今は興味がなく、


発信しなくてもいいから、


積み上げてきた関係で、


一対一で、



“ 人の陰陽の本質 ” を撮りたい。

 


こんな事を思うのも、


多感な時期を、


“ 寮生活 ” という特殊な環境で培った、


本音をさらけ出す、『 音、色、間 』や


丸裸な人の本質の、『 形、表情、動き、息づかい 』



を知ってしまっている 故かもしれません。


これは大人になって経験したとしても得られない感覚だと思うのです。


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《 これから 》


“ ポートレートの分野 ” は妥協せず、


より自身の野生の本能に従った方が俄然面白い。


蜷川さんの作品展で、

 


より確信へと変わった経験をお守りに、


高校生の頃、自分が感じ、決めた感覚を、



今も大切にしていきたいです。



2016年の個展を開いたあたりから 


ふつふつと


なぜか わかりませんが 形に 言葉にしたくなりました。


ここまで 読んでくださり ありがとうございました


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by yokopu70 | 2019-02-22 00:03 | 語りごと。