【 5th写真展 エピソード2】
▼エピソード2 “新しい自分の発見”
恩師との再会がきっかけで、考えても見なかった新しい自分に出会えたというエピソードです。
“教える教えてもらう”に関しては、興味深い内容だったため、予想以上にボリューミーかつ熱量過多の内容となりました。
いつも書いている事ですが、ここでの感覚は、あくまでも現時点でのものです。
これから先ずっと続くかどうかは、わかりません。四季が移り変わるように、感覚もまた変化していくものと思っています。あしからず。
▼再会
小学校卒業以来お会いしてなかった元担任で美術教師でもある恩師が遠方から来てくれました。
何十年ぶりとは思えないほど、楽しいひととき。
一点一点作品たちを丁寧に見て褒めてくださいました。
近年は美術のほか、トップに近い役職で子供たちの教育にも力を入れていたそうですが、相変わらず謙虚でユーモアがあり、話しやすさにほっとし、癒されました。
▼思ってもみない提案
話題はそれぞれの今後についてへ。
恩師は今年退職。教え子がアーティストになってくれて、いい退職祝いになったと笑顔で話しました。
その後、提案が。
退職後も美術を教える予定なので、よかったらゲストティーチャーとして一緒に子供達を教えてみないかという内容でした。
※2019年12月時点での話です
教壇に立つ…
ましては義務教育過程の方々に……
えっ!?自分が?
▼気づき
私自身、昔から今まで、先生と呼ばれている方々に対して、とても厳しい目で見ているのは何故なのだろうと思っていました。
思い返してみれば、裏表なく真っ直ぐ接してくれた先生は恩師以外、後にも先にもいないと断言できるほどなので、
厳しい目はおそらく、恩師がとても誠実に教えてくれていたから無意識に比べていのだろうと気がつきました。
▼あらためて整理してみる
シンプルに考えると、教えることとは自分が見聞きしてきたことを伝える作業です。
誰でも経験さえあれば、すぐできるので、簡単なように思われがちですが、例えば現役時代スタープレーヤーだった選手が引退後いいコーチになれるとはかぎらないでしょう。
全て網羅し、本当の意味で教える為には、生徒側のアイデンティティに合わせつつ、最終的には気づき、発展させ、持続できる自主性を身につけてもらうなど、相当なスキルが必要だと思うのです。
感覚やセンス、熱いハートや夢だけではなく、もっと現実的な準備、覚悟も必要なのではないかと考え整理し、思いがまとまっていきました。
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▼経験
実は最近、教えてもらう機会を積極的に増やしていたのですが、早い段階で、自分に合った教わり方を知ってしまった故なのか、あてがいぶちの場合、恩師にまさる人は1人もいませんでした。
志のベクトルが想像していた程のクオリティーではなかった方も多く、言葉はよくないかもしれませんが、正直げんなりしてしまうこともありました。
その点、現在長くレッスンしていただいている熟考の上、自分自身で選んだ先生方は見据えているビジョンが3手くらい先に置かれており、気持ちよく学ぶことができています。
素敵な先生方の教える姿勢を体感しているからこそ、今回このように考察を深めた内容となったのだと思います。感謝。
▼先生とは
今回久しぶりに恩師と話し、改めて自身のフィルターを通した先生像を考察し、形にしてみました。
いざ教える立場になったとき、おそらく全て網羅するのは簡単なことではないと思いますが、、
せっかく初めて書くのだから、最大限の理想を詰めこんでみました。
※個人の感覚の話ですので、ご興味ある方向けです
[先生とは]
⚪︎生徒へのアプローチ⚪︎
•状況に臨機応変に対応し、平常心をキープできる
•対等に1人の人として向き合える
•教えたつもりで自己満足で終えない。生徒がついてきているか確認できる
•独りよがりにならず、連携できる
→全て1人でやる事は一見、仕事ができる人のように見えますが、自分の考えを相手に伝える為のスキルが失われてしまいます(自身が過去そうだったので、、)
特にワンマンは個人の感覚ですが、それ以上発展しない故、自分のためにも相手のためにもあまりならないと思うのです。
•言葉使いが綺麗で丁寧であること
→フランクな話し方、これを持ち味ととらえる方もいるかもしれません。
例えば友達と話すような口調や語尾がだらしなかったり、ノリと勢いのみで人を見ていない会話など。
全て経験済みですが、ジャッジするしない以前に教師の個性と考えるには、わたしには難しく違和感だけが残りました。
何事もまずは相手を尊重することから始めた方がよいと思うのです。
その最低ラインが丁寧な言葉遣いだと思います。
⚪︎教師個人のメンタル⚪︎
•メサイアコンプレックス(救世主妄想)でないこと
→以下の例が挙げられます。
•自分が救われたいから他人を救う
•人を助けることで自分の存在意義を確認する
•他人を救うことで優位に立とうとする
少ない経験ではありますが、さまざまな職種において”先生”と呼ばれる方々が、このパターンで受け手側の生徒に対し、接してしまっている人が多いように感じます。
・コントロールせず生徒達を立て、時に見守る
→『条件付きの愛情』や『※ダブルバインド』で、”曲がった素直さ”を植え付けないということです。
一つ目の『条件付きの愛情』は、〇〇しなければ、褒めないなど、その名の通り条件をつけることです。
これが続くとありのままの自分は受け入れられない、今の自分がベストという自己肯定力が失われてしまいます。
二つ目の『ダブルバインド』の例として、「わからなかったらすぐ聞いて」と言われたにもかかわらず、聞きに行くと「それくらい自分で考えて」と怒られるという状況があげられます。
どちらを選択しても一方に背くことになってしまうため、受け手側の生徒は「また怒られるのではないか」と考え、必要以上に相手の顔色をうかがうようになり、次第に主体性や自信が奪われていきます。
結果的に受け手側である生徒は感情を抑え込み、自由な意思決定ができずに、さらに自分の判断がすべて間違っているように感じて、どう対応していいかわからなくなります。
最終的に教師の指示を基準に物事を判断するようになってしまう。
以上この2つが”曲がった素直さ”が生まれてしまう原因だと思うのです。
詳しくは↓
メンタルの強化書
https://mental-kyoka.com/archives/3684
“コントロール下における素直さは、本当の素直さではない”
転ばぬ先の杖にならず見守ることも必要だと思うのです。
実際、似たケースを目の当たりにしたこともあります。上下関係が生まれやすい教える教わるの立場において陥りやすいケースだと思うので書いてみました。
個人の感想ですが、自分の生徒はみんな素直だとうぬぼれている先生方がいたら、ひょっとしたらひょっとするので気をつけた方がいいかもしれませんね。
▼先生とは…のまとめ
形にするため、特に教師個人のメンタルの項目に関しては調べられる範囲で調べましたが、あくまで個人の見解ですので、説明がそぐわないところもあるかもしれません。御了承ください。
まとめてみると意外にも学ぶことに興味があったことや、先生という存在がいかに重要かを今まで経験により知らず知らず体感していたことに気がつき興味深い内容となりました。
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▼どちらが今の自分に合っているか
昨今は以前にくらべ、講習会、トークショー、ワークショップ、ウェビナーなど、身近に教えてもらう機会も増えてきたように思います。
大半は教える喜びを主体に持つ方々だと思いますが、
自身の仕事を知ってもらう事に留まらず、
クライアントや人脈を増やし、次の仕事を作り出すためであったり、
ゆくゆくは、小規模コミュニティーを作り、オンラインサロンのような空間を持つための前哨戦のように捉えていたり、
善し悪し抜きにしても、
いわゆる収益ばかりを期待した含みありきで考える方も存在しなくはないはずです。
もちろん戦略は十人十色ですので、みんな好きなやり方で楽しくやればいいと思いますが、
正直に言うと、今の自分には扱いきれない考え方です。
その点、学校教育においては、教えるに重きを置き、さらにゲストでお伺いするとなると、私のイメージですが含み要素も少なく感じられます。
いつの日か教える機会が増え、純粋な感覚が麻痺することもあるかもしれない。
その前に、今どう捉えているのかを形にする、いい機会でした。
▼これからの羅針盤
創られたものを評価することは、ある程度キャリアを積めば大体できてしまう。
特にできるかなと不安を抱えた初心者相手ならなおさらです。
恩師が素晴らしいのは、キャリアにあぐらをかかず、自身の探究のため、教育や絵に真っ直ぐ向き合い続けている点だとお話を聞いて思いました。
口先だけではなく、お手本を示してこその先生。
今後、新しいことにチャレンジする際、先生選びの指標になりそうです。
▼引き出す力
何十年もお会いしていないのに、たった数時間で、わたしの性格に配慮し言葉を選びつつ、新しい側面を引き出してくれた恩師のスキル。
さらに教えるというジャンルを深く考えるきっかけを作ってくれました。
ゲストティーチャーについては、人の気をもらってしまう特性上、たくさんの人の前で話すのは得意ではありませんが、恩師のおかげで、やってみたら楽しそうだなと思うようになりました。
大きなプレゼントを頂けた今、また新たなスタートに立てた気分です。
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▼結論vol.1
さまざまな語りました。
いろいろなことが目まぐるしく変わった今時期。
この文章も2019年12月から2020年11月まで少しづつ直しながら今にいたった為、考え方もだいぶ変化し、
たどり着いた結論は2つとなりました。
どちらも相反するかもしれませんが、
1つ目は理屈理論ではなく、
最終的には教師や教育環境の善し悪しというよりも、
“自身がどんな周波数をだしているか”で決まるという事です。
個人の感覚ではありますが、
物事や人のマイナス面ばかりをフォーカスし、ジャジしたり、
また過去あった嫌な出来事をいつまでも許さず、手放さず、思い出しては怒ったり悲しんだり文句や愚痴を言い、分析し続けると、
それが言霊となり同じように心地良くない出来事がループします。
逆に好きなこと、楽しいこと、ワクワクすることをたくさん体験体感していると、不思議と人の巡りも良くなり物事がスムーズに進みます。
これが”周波数”の正体です。
なので、今ある状況は全て自分が作り出し周波数が映像となり具現化したものだとわたしは考えています。
合う合わないは多少あるにしても、
良くない教師も教育環境も逆に奇跡的な瞬間や心地良いことすら幻想で、
ただ単に自分の周波数が反映された現実が再生されただけです。
良くも悪くも全部自分が書いたシナリオ通り進行しただけということになります。
どちらを選択するかは好きづきです。
わたしは落ち着いていて楽しい方が断然好きなのでそちらを選びますが、
感情のジェットコースターの虜で一喜一憂が好きな方はそちらをチョイスすればいいだけの事です。
そう考えたら、わたしが恩師と出会った幼少期はまだ右も左も分からず、自分で整えることは容易ではなかったはずです。
なぜ出会えたのか?
それは、たくさん楽しいものことを体験させてくれたり、生活の場をよくしようと誰に言われることなく自分たちで手探りしながら奮起し行動してくれた家族の気持ちが、
いい周波数となって反映されたからとわたしは信じています。
だから結果的に恩師のような方と早い段階で巡り会え、
また今こうして人や環境のせいにせず、誰かに過度に頼ったり鼓舞されなくても、
“自身が心地よいことやものだけに目を向け、いい周波数をだしていればよい”
と気付けました。
家族はもちろん、この現実を引き寄せた自分にも感謝です。
▼結論vol.2…
2つ目は、究極これからは自身の好きな感覚や、学ぶ意思さえあれば、先生という存在に教えてもらわなくともサクサク学びを進めることができる時代になっていくと思うのです。
精神的面であれば、例えば自然だったり植物や動物、建築etc…
物理的な面であれば、本やweb、身近な人たち。
そのほか、街ですれ違った人や電車でたまたま一緒になった人、ラジオから流れてくる言葉や音楽。
誰しも、遠くのものや新しい環境や人に、変化した自分の姿を求める傾向があります。
例えば、どんなに社会的地位があったり、その道のプロであったり、TV、ラジオ、舞台、雑誌に出ている著名で憧れの人に教わったり、何かのきっかけで、知り合ったとして、
一見自身のレベルが上がり、違う自分になれたような優越感を感じるかもしれませんが、
それは”非日常中毒”や”自信の無さを他者で埋めている”だけです。
違う自分になれたと言えるのは、後々振り返って、いつの間にか、そうなっているのが自然な変化。
また変わることだけが善ではなく、“変わらない”という選択肢があることに気がつくことも大切です。
日常には、たくさんの学びの原石が転がっています。
耳を傾け、目から入る情報、触れた感覚、味覚、嗅覚にまで。
五感全てを体感したことに今必要な情報のヒントが隠されいてる。
たとえ、どんな素晴らしい人がいたとしても、今まであなたが体験し気づき築づいて行動してきた経験は、絶対に、絶対に、絶対に誰にも敵わないのです。
いつでも、誰でも、あなた自身が、あなただけの、素晴らしいスーパースペシャルな先生になれます。
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▼最後に…
今時期はリアルを体感体験する機会が以前より減り、多くの人がweb上で新しいこと知り、学ぶことが身近になってきました。
そのかわり、表面的な情報だけで判断することも増え、迷いが生じやすいのが現状です。
長年携わっているのでわかりますが、写真はいくらでもいいとこ撮りで切り取れます。
それは動画も文章も同じことです。
例えば、普段は不機嫌で表情が乏しくても、その瞬間だけ笑い、webに載せればずっと笑顔の人になり続けることが簡単にできてしまいます。
また、インタビュー記事を読み、思考整理できている方なのだなと思いきや、実情は全く真逆であったり。
自分にとって、
何が本質で 何がイミテーションか。
よく見てよく観察して。
こんな時代だからこそ、シンプルに。
“過去や未来ではなく、今です”
今この瞬間だけ心地よくいればいいだけ。
“目線は自分へ”
受け身にならず、もういいかげん起きて〜目を覚まして〜!といったかんじで、1人1人が自分の中に備わっている太陽を思い出し、自らが輝く時代です。
“訊ねるのは自身に”
自分以外の誰かへの質問相談は確認程度し、
またされたら、その人にどう思うか訊ね、お返しする。
“あなたが主役で主人公です”
あなたという乗り物の操縦桿は他の人は握れないし、乗りこなせません。
見抜く力、学ぶ力は自分で見つけた方が近道です。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました!
思った以上に壮大なテーマになりましたが、まとめることができ、思考整理ができ、次の展示に活かせそうです。
お付き合いいただいた、あなたに感謝いたします。
ここからまた捉え方が変わるか否か。
わたしも楽しみです。
最後に思考の旅路を提供してくれた恩師に感謝します。
※ 日本語で “二重拘束” の意味を持つ『ダブルバインド』とは、1956年に米国の文化人類学者・精神医学研究者のグレゴリー・ベイトソン氏によって生み出された造語。同時に送られるふたつの矛盾したメッセージの間で板挟みになってしまった相手が、最終的には従わざるをえなくなることで、ストレスを溜め込むコミュニケーションパターンを指す。
エピソード1はこちらから↓
https://yokopu70.exblog.jp/28308405/
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by yokopu70
| 2020-11-23 11:11
| 5th 個展